ブランド古着の定番「ラルフローレン」の歴史を紐解く
ブランド古着の定番「ラルフローレン」の歴史を紐解く
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アメリカンコーデを楽しめることから男女問わず人気が高いブランド「ラルフローレン」。
ヴィンテージファッションとも相性が良く、ラルフローレンのコレクションは古着でも圧倒的な人気を誇っています。
そんなラルフローレンですが、これほどまでに多くの人から愛されるブランドになるまでにはどのような歴史があったのでしょうか。
老舗ブランド「ラルフローレン」が誕生するまで
アメリカン・トラッド(アメトラ)の王道ブランドとも言えるラルフローレンは、アメリカ合衆国のニューヨークで1939年に生まれたラルフ・ローレン氏によって設立されました。
とは言っても、ラルフ・ローレン氏はいきなりラルフローレンを立ち上げた訳ではなく、ブランドを立ち上げるまでにはいくつかのエピソードがありました。
彼は元々、大学でビジネスを専攻していたのですが、2年間で大学を中退してしまいます。
そしてその後アメリカ陸軍に入隊するものの、こちらも2年で退役。
そんな彼が新たな活躍の場所として選んだのがアメトラファッションの大手ブランド「ブルックス・ブラザーズ」でした。
ブルックス・ブラザーズで働き始めたラルフローレン氏はネクタイ売り場で勤務するようになるのですが、そこで彼は当時はまだあまり普及していなかった幅の広いネクタイを考案して販売し、商品をヒットさせることに成功するのです。
この功績がネクタイメーカーの「ボー・ブランメル社」に認められ、ラルフローレン氏はそこでデザイナーとして働くことになりました。
ボー・ブランメル社では「ポロ」というブランド名で高級ネクタイを手掛けるのですが、ここでもネクタイをヒットさせることに成功し、これに自信を得たラルフローレン氏は独立することを決意して、1968年に自身のブランドである「ポロ・ラルフローレン社」を立ち上げました。
ここから老舗ブランド「ラルフローレン」の歴史が始まることになります。
高く評価される「ラルフローレン」のコレクション
ラルフローレンは創業当初、メンズウェアに力を入れてブランドを開拓していきます。
当時のラルフローレンはイギリスの伝統的な洋服を参考にしつつアメリカらしいテイストを加え、これまでには無かった新しいファッションスタイルを提案していました。
クラシックでありながらカジュアルにも着こなせるラルフローレンのコレクションは若者を中心に絶大な支持を受け、またファッション界の名誉ある賞の「コティ賞」を受賞するなど、世間から高く評価されるようになります。
その後、レディースウェアのデザインも手掛けるようになり、アメリカのファッション業界を牽引するブランドへと進化を遂げます。
特に1977年に公開された映画「アニー・ホール」の主演女優であるダイアン・キートンが作中で着用した衣装を手掛けたことは話題になり、この映画で採用されたマニッシュスタイルは「アニー・ホール・ルック」と呼ばれる社会現象を巻き起こしています。
日本で人気が高まる「ラルフローレン」
ラルフローレンが誕生してから数十年が経ちますが、今もなおブランドの人気は衰えておらず、世界各国に熱心なラルフローレンファンが存在しています。
日本では2003年にフラッグシップストアとして「ラルフローレン表参道」が東京に進出して以来ショップの数が増え、ラルフローレンの愛用者が続出しています。
また、ラルフローレンのコレクションは古着としても需要があり、ヴィンテージファッションを楽しむ人々からの人気がとても高いことでも知られています。
「ラルフローレン 」の人気は今後も衰えない
アメリカのファッション界を長らく牽引してきた老舗ブランド・ラルフローレンは、これまでの歴史の中で輝かしい実績とたくさんのファンを獲得してきました。
そんなラルフローレンの人気は今後も衰えることはないでしょう。
アメトラファッションの最先端を走るラルフローレンが今後はどのようなアイテムを発信していくのか、期待が高まります。