アメリカ発祥の文化、ヒップホップの歴史

 

アメリカ発祥の文化、ヒップホップの歴史

 

 

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ヒップホップという単語は、音楽のジャンルの文脈で語られることが多いものでが、実際のところ、ヒップホップが指すものは音楽だけではありません。

 

ヒップホップという単語は、本来「文化の総称」としての意味を持っているのです。

 

今回は、ヒップホップという文化がどのように成立し、どのように発展してきたかを説明していきたいと思います。

 

 

 

全ての始まり、ニューヨークの貧困街で生まれた野外パーティ

 

ヒップホップ発祥の地はアメリカが誇る大都市・ニューヨークの下町、サウスブロンクス地区。

 

現在はソーブローとも呼ばれるこの地域は、アフリカ系やカリブ系、ヒスパニック系の住民が集まっており、いわゆる貧民街の様相を呈していました。

 

当時の音楽シーンではディスコ・ブームの真っ只中でしたが、ブロンクスの若者たちはディスコに影響されて、公園などにDJ機材を持ち込み、野外で仲間を集めて音楽パーティを開きました。

 

これがいわゆる「ブロックパーティ」です。

 

DJがノリの良い音楽を提供し、MCが音楽にラップを乗せ、ブレイクダンサーたちが踊り、そしてパーティ会場をグラフィティで彩るのがブロックパーティのスタイルで、このDJ、MCラップ、ブレイクダンス、グラフィティがヒップホップの四大要素と言われています。

 

ヒップホップの歴史を語る上で外すことのできない話題がストリート・ギャングで、彼らはそれまで繰り広げていた流血の抗争をやめて、無血での縄張り争いの手段としてヒップホップを選んだのです。

 

グラフィティは縄張りを主張するための印であり、対立するグループはDJやダンスの上手さを競い、ラップで相手を言い負かそうと言葉の刃を振るいました。

 

集まった聴衆たちは審査員となり、どちらが忠誠に値するかをジャッジしていたのです。

 

このように、ヒップホップ文化は対立の中で磨き上げられました。

 

 

 

 

西海岸と東海岸のヒップホップアーティストたちの相克

 

ニューヨークのブロンクスで生まれたヒップホップは他の地域にも波及しました。

 

しかし、当初はあくまでブロンクスのヒップホップ文化の模倣に過ぎず、ニューヨークのヒップホップ文化の担い手たちは我らこそが第一人者であるという認識で、文化を発信し続けました。

 

しかし、水面下で牙を研ぎ続けていた地域がありました。

 

ロサンゼルスで活動していたヒップホップアーティストたちは、アメリカ西海岸に一大勢力を築き上げていたのです。

 

ドクター・ドレーやアイス・キューブといったアーティストたちが、東海岸のヒップホップを手本としながらも、西海岸で独自の発展を遂げさせていき、その結果、ついに東海岸のアーティストと西海岸のアーティストは互いに火花を散らしながら、それぞれ相手のスタイルを取り入れ合う関係に発展しました。

 

また、その過程でDJ技法やファッション、ダンスやグラフィティも東海岸と西海岸の対立関係の過程でより洗練され、発展を遂げていきます。

 

ブロンクスのボックスパーティグループ同士の火花の散らし合いから勃興したヒップホップ文化は、東海岸と西海岸のアーティストたちが一種の「抗争」を繰り広げる形で洗練されていきました。

 

この時代は、対立こそがヒップホップの成長の糧だったのです。

 

 

 

 

抗争は終わり、対立から団結へ

 

80年代の東海岸と西海岸のヒップホップ戦争は西海岸側に軍配が上がり、ヒップホップを産み育てた東海岸側のアーティストたちはプライドを傷つけられる格好となりました。

 

彼らは西海岸のアーティストたちへの攻撃性をむき出しにして反撃を試み、西海岸側もこうした動きに黙っていられず、対立は激化していきました。

 

しかし、その対立構造の果てに待っていたのは、東海岸のノトーリアスB.I.G.と西海岸の2パックという、両海岸を背負って立つアーティストの相次ぐ死だったのです。

 

両者ともに銃撃事件でその命を散らし、ヒップホップシーンは偉大な2人の死を悼み、この事件をきっかけに、それまで対立構造の中で発展してきたヒップホップ界隈は、団結への道を歩み始めます。

 

その中で、KRSワンという1人のアーティストはついに、ヒップホップの定義付けに「ファッション」「ビートボックス」「言語」「起業精神」を打ち出し、従前からヒップホップを構成する要素とされていた「DJ」「MCラップ」「ブレイクダンス」「グラフィティ」そして「知識」に新たな4要素を加えて9大要素とします。

 

そして、KRSワンはヒップホップアーティストたちに団結を呼びかけ、「ステレオタイプを壊す」ことを宣言しました。

 

かくして、団結するアーティストたちの下で、ヒップホップ文化は成熟を迎えました。

 

個人間での小競り合いこそ繰り広げられますが、一度バトルを離れれば、そこには相手を尊敬するリスペクトの精神を見出すことができるようになったのです。

 

 

 

 

様々な要素が、対立で育ち団結で成熟したヒップホップ

 

ヒップホップ文化の歴史は対立の歴史でした。

 

元々がギャングの抗争を無血で繰り広げるための手段だったのです。

 

しかし、ヒップホップの根底にあるのは対立を平和に終わらせる精神です。

 

それはやがて、対立構造そのものを終わらせ、アーティストたちの団結と平和を願う心を産むまでに至りました。

 

攻撃的な面が目立つヒップホップですが、その先入観を取り払うことで、相手への尊敬と仲間意識の高さを見出すことができるのです。

 

 

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